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企業文化の誕生要因とは!?
2014年04月04日
今、名古屋のホテルでこのブログを書いています。
私は名古屋で社会人としてのスタートを切りました。
その後、7年間もの時間を過ごした土地であり、本当に色々と勉強させていただきました。今、改めて感謝の気持ちで一杯です。
それでは、本日の『拝啓 経営者様 本音ブログ』に入っていきたいと思います。
そういえば・・・、
「名古屋で商売が成功したら 全国どこでも成功する」
という話を聞いたことはありませんか?
そうなんです。
名古屋の人々は、とても財布のヒモが固く、保守的な気質なため「実績あるものを選択する」という傾向が強いんですよね。だからこそビジネスの登竜門のような言われ方を昔からしてきました。確かに名古屋の方は堅実で地元愛の強い方が多いと思います。
これも長い時間をかけて創り上げられてきた「文化」ですよね。
200万人以上が暮らす大都市でありながら、このような文化が今なお息衝いているというのは本当に凄いことだと思います。
ちなみに、私は京都府出身です。
京都は昔から、
「京都の人は冷たい」
「京都の人は意地が悪い」
などと言われてきました。
これも一つの文化なんです。
ちなみに何故このような文化が生まれたと思いますか?
その昔、京都は日本の中心でした。
そのため「時の権力者」は京都を抑えることをとても重要視していました。
現代の企業でいうと、地方の企業が「東京進出を目指す」のに構図は似ています。
その昔、目まぐるしく権力構造が変わる時代も多かったため、京都の地元民はある種冷たい目で「時の権力者」を見ていたそうです。
今でこそ京都の名物料理として観光客に大人気の「湯豆腐」ですが、その由来ってご存知でしょうか?
文化形成の参考になると思うのでご紹介しますね。
「時の権力者」が京都に出てくると地元民はまず最初に「湯豆腐」を献上したそうです。
このとき地元民は、
「これは湯豆腐と申しまして、京都の名物料理でございます」
といって差し出します。
そのときの地元民の心中は「こんな素っ気ない味の料理が美味しいわけが無い」だったそうです。
(この辺りのエピソードから「意地が悪い」などと言われるのだと思います。)
地方から出てきた「時の権力者」は湯豆腐を口にして次のような感想を持ちます。
「味は薄いし食べ応えも無いし、こんなのが京都の名物料理なのか・・・」
京都の地元民は、間髪を入れずに「時の権力者」こう聞きます。
「湯豆腐の味はお口に合いますでしょうか?」
実は、この質問は「時の権力者」の力を見極めることが狙いだったのです。
もし、「時の権力者」が
「京都の伝統の味がする」
「上品な味がする」
などと湯豆腐を褒めようものなら京都の地元民はこう考えたそうです。
「この人、長持ちせえへんやろうなぁ・・・」
なぜだか分かりますか?
相手は「時の権力者」として地方から都にやってきたある意味「田舎者」です。その田舎者に自分たちが「美味しい」とは思っていない料理を差し出し、「伝統ある京都の名物料理」と説明するわけです。食べた「時の権力者」も「素っ気ない味だな・・・」と思っていることは地元民も十分に分かっている。
その状況で、「時の権力者」が何というか?
誰しも「田舎もんだと思われたくない・・・」という気持ちが心を過ります。
京都の地元民は「今回の時の権力者」が
「見栄を張る器の小さな男か」
それとも
「正直さを持つ度量の大きな男か」
を見ているのです。
「今回の権力者はどれぐらいもつのかな?」
このテーマは、
地元民には「安定した生活」を手に入れるために非常に重要なことでした。
京都の人は自らの身を守るためにどうしても「時の権力者」の力量を見極める必要があったのです。
京都にはこのような歴史的背景があり、
「名物料理の湯豆腐」
「冷たい・意地が悪い」
という文化が形成されていったということです。
文化はあらゆる要素が積み重なって創りあげられるある種の芸術です。
これは「企業文化」も同じこと。
企業の「競争力の源泉」は、「ブランド力」や「販売力」、「商品・サービス力」に見出すのではなく、素晴らしい「企業文化」に見出すべきなのかもしれません。
苦境に立たされても社員一丸となって立ち直ろうとする「企業文化」こそが、未来永劫の「安定」をもたらす源泉になるのではないでしょうか。
ちなみにですが・・・、
私は京都府出身ではありますが、両親ともに鹿児島出身ということもあり、
流れる血はバリバリの薩摩っ子でございます。
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