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レジェンドな経営者と反面教師の本音ブログ

清州会議に学ぶ人を動かす心理とは!?

2013年12月20日

ビジネスに役立てることを目的とする「ビジネス書」を読むときは、

「どんなことが書いてあるんだろう?」というスタンスで、

1ページ目から順番に読み進めていくのは非効率だと思います。

 

「ビジネス書」に小説のようなストーリー性を求めても無意味ですよね。

 

だから私はこう思うんです。

 

ビジネス書の読書効果を最大限に高めるためには、

「どんなことが書いてあるんだろう?」という受け身のスタンスではなく、

「この情報を取りに行く!」という攻めのスタンスで読み進めていくことが重要なのではないか。

 

「この情報を取りに行く」という目的が明確にされた状態で読み進めるわけですから、関係のない部分はどんどん読み飛ばすことになります。

 

私の場合、

自分が探している情報を見つけたらそこで立ち止まり、

じっくりと熟読するわけです。

 

自分が欲している情報とご対面しているわけですから、

「よし、見つけた!!」という感じで集中力も増すんですよね。

場合によっては、その内容を体系化、図式化して、資料に落とし込むこともしばしばです。

 

タイトルに惹かれた程度のビジネス書を無目的にダラダラと読んでも大して効果はないと思います。

 

読書ひとつとっても何かを得るためには「主体性」が重要なんだと思うんですよね。

 

 

 

一方で、

小説を読むときやTVドラマ、バラエティ番組を鑑賞するときは、

もちろん「完全に無目的」で見ています。

 

そのため相当なインパクトでもない限り、ほとんど場合、時間の経過と共に内容も忘れていきます。

 

 

 

逆に、

映画を「完全なる目的」を持って見に行ったらどうなるのか?

 

 

急にそのような好奇心が湧いたので、

先日、ある映画をそのターゲットに選定して見てきました。

 

 

その映画は、三谷幸喜監督の「清州会議」です。

 

 

このブログで「清州会議」のストーリーを述べるつもりはありませんが、「見るのをとても楽しみにしている!」という方は、この先はお読みにならない方が無難かもしれません。

 

 

映画のタイトルにもなっている「清州会議」とは、

織田信長と跡取りの織田信忠が本能寺の変により、討ち死にしたため、

 

織田家の跡目を誰が継ぐのか?

 

を話し合うために愛知県・清州城にて開催された織田家の首脳会議のことです。

 

 

この会議の興味深いポイントは、

織田家の跡取りを決める会議なのに、

会議出席者に織田家の血を引く者が一人も居なかった点です。

 

会議出席者は、4人の重臣たちでした。

 

柴田勝家

丹羽長秀

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)

池田恒興

 

 

この会議の結論と、その後の歴史については、多くの方がご存じだと思います。

私も最終的な結論を知っていました。

 

最終的な結論を知っている状態で、

私がこの映画に対して抱いた「完全なる目的」とは何だったのか。

 

それは、

 

柴田勝家という目の上のタンコブが存在すると共に、人間の欲や思惑がうごめくこの緊迫した状況の中で、秀吉が会議の結論を自分にとって都合の良い方向に導くことができたポイントは何か?

 

を見い出すことでした。

 

 

いや・・・、

「見い出す」と表現すると少々傲慢な感じがしますので、表現を変えます。

 

 

柴田勝家という目の上のタンコブが存在すると共に、人間の欲や思惑がうごめくこの緊迫した状況の中で、秀吉が会議の結論を自分にとって都合の良い方向に導いていく様を三谷幸喜はどう描くのか?

 

に着目することでした。

 

 

 

清州会議の結果は、その後の権力動向、金銭的利益に大きな影響をもたらします。

 

この清州会議、光秀征伐の手柄を挙げていたといえ、権力構造や家柄から考えても、秀吉は不利な状況からのスタートでした。

 

しかし秀吉は、最終的には柴田勝家側についていた丹羽長秀、池田恒興を見事に自分の味方につけ、思惑通りの結論に導くことに成功します。

 

 

 

城内での5日間にわたる武将たちの思惑や謀略、本音、裏切り。

 

 

なぜ、元々柴田勝家側についていた丹羽長秀、池田恒興は秀吉側に寝返ったのか?

 

 

 

映画は想像以上に面白かったです。

そして、私の「完全なる目的」もおかげ様で達成されました。

 

 

秀吉が会議の結論を自分にとって都合の良い方向に導くことができた最大のポイントは、人間の真・善・美に起因する、ということでした。

 

分かりにくい表現で恐縮ですので、もう少しシンプルに言うと、

  

丹羽長秀、池田恒興が秀吉側に寝返るときの「最後の一押し」が「金」ではなかったという点が人間の真・善・美に起因すると考えたポイントです。

 

 

もちろん秀吉は、丹羽長秀、池田恒興の両名に高額な「金」に相当する領土の提供を「味方してくれたら・・・」という条件で提示していました。

 

 

提示された条件は、丹羽長秀、池田恒興の両名にとって喉から手が出るほど魅力的な条件でした。

 

 

しかし、彼らはこう秀吉に言いたかった。

 

 

「俺たちを金で動くと思うな」

 

 

そして、秀吉はそのことを見抜いていた。

 

 

だからこの二人が柴田勝家を裏切れるように

そっと大切なものを彼らに渡します。

 

 

それは、「大義」です。

 

 

「戦国の世を終わらせ、天下を統一する」

 

 

という「大義」を彼らに渡したのです。

 

この「大義」こそが、裏切りの罪悪感を消し、「金で動いてしまった」と本人に思わせることのないウルトラCだったのです。

 

 

 

 

丹羽長秀、池田恒興の両名はこう考えたのではないでしょうか。

 

 

「柴田勝家の器では、天下を統一することはできない」

 

ということは・・・、

 

「また戦国の世に戻ってしまい、あちこちで戦が起こってしまう・・・」

 

そもそも・・・、

 

「天下統一は御館様(織田信長)の夢だった。」

 

秀吉の話をよく聞いてみると・・・、

 

「優先させているのは「織田家」といった小さな話ではなく、天下統一による戦の無い世の中。」

 

秀吉の言う通り・・・、

 

「自分も御館様と同じ、天下統一による戦の無い世の中を作りたい。」

 

良く考えてみると・・・、

 

「秀吉にはその力がありそうだ」

 

それに・・・、

 

「お金もくれるって言ってるし・・・。」

 

・・・

 

「よし!決めた!!」

 

 

 

 

「織田家後継者は、三法師(織田秀信)様が適任かと存じます」

 

 

 

 

社員が会社を辞めてしまうとお嘆きの経営者の方、

社員は「金」だけでなく、何らかの「大義」を求めて仕事をしていることをお忘れなく。

 

 

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